「諏訪味噌」発展の歴史をたどる −諏訪味噌組合史刊行−

 新年あけましておめでとうございます。
 新しい年をどのように迎えられましたか? 例年になく厳しい冬の中での新年となりましたが、温かいおみそ汁や鍋料理をおいしく食べられる季節でもあります。タケヤみそは、今年も家族の暖かい笑顔に囲まれた食卓を応援します。

 さて、このホームページでも2年ほど前に紹介しましたが、今年で創立58年目を迎える信州諏訪味噌工業協同組合が編集した『諏訪味噌組合のあゆみ』が、ようやく昨年末に刊行されました。

 諏訪の味噌づくりの歴史をまとめるにあたり、この本では「人」に焦点を当て、味噌づくりに励んだ各工場の人々について、本人や後輩たちが語っています。戦後の厳しい時代を生き抜いた個性豊かな人々 ―技術の発展に尽くし、特許までとった人、販路の拡大に寄与した人、味噌づくりを基礎に諏訪の街づくりに貢献した人などなど― の活躍が、生き生きと描かれています。

 ちょうどいいタイミングで、諏訪の味噌屋が舞台となっているNHK朝の連続テレビ小説「かりん」が衛星第2放送で再放送されています(月〜土、朝7:46〜)。そこで、今回はこの本の中から、印象に残るエピソードをいくつかご紹介したいと思います。


 まずは組合草創期のおはなし。
 戦後の混乱の中で立ち上がったために、まず苦労したのが原料の手配でした。「戦地から帰ると大豆があった。“これで味噌が作れる”と喜んだが、もうひとつの主原料である米が手に入らない。それが最初の苦労だった」ということです。食糧難の中、主食の米はやはり貴重品だったのでしょう。

 そうした中、でんぷん原料としてイモが支給され、これで味噌を作れという当局の指示が出ました。背に腹は変えられず、やむを得ずイモを使った味噌を製造します。ところがこれは風味の面で、本当の味噌とはかけ離れたものでした。

 先人たちはここで重大な決断をします。極度の物不足の中、イモ入りの味噌でも売れないことはありません。しかし、諏訪味噌のブランドを守るため、イモ入りの味噌は売らない、ということにしたのです。このことが、その後の高度成長期にプラスになりました。すなわち、イモ入りの味噌を売ってしまった他地域の商品が信用されなくなり、諏訪味噌ならば確実だ、ということで売れるようになったのです。
 諏訪味噌の「品質重視」の姿勢を示す、ひとつのエピソードといえるでしょう。

 日本の高度成長に合わせて順調に生産量を伸ばしてきた諏訪の味噌も、昭和40年代に入ると踊り場を迎えます。そこに諏訪湖の水質汚濁に代表される公害問題が表面化、「諏訪湖が汚れたのは味噌工場のせいだ」という風評が立ち、苦難の時期を迎えます。
 この問題に対しては各工場が協力し合い、全国味噌業界の中でも先駆けて処理工場を作って解決しました。

 追い打ちをかけるように、次は減塩運動が幕を開けます。特に塩分の摂取量が高く、脳血管疾患で亡くなる人が多かった長野県では、マスコミが先頭に立って「みそ汁・漬物は控えましょう」というキャンペーンを実施、大打撃となりました。
 この問題に対しても、塩分の少ない味噌の開発を各社が競う一方、「食塩水を飲んでいるわけではないのだから」と味噌の効用を主張、やがてこの活動は現在のみそ健康づくり委員会につながり、今では「味噌は健康食品」ということが、9割の方に理解していただけるようになりました。


 長くなってしまいましたが、諏訪味噌が60年の歴史の中で、常に品質と、それを裏打ちする技術を重視して育ってきたことがわかります。この結果、諏訪味噌は現在でも、全国シェアの1割を占める、大きな産地産業となっているのです。

 今年、タケヤみそは創業134年を迎えます。先輩たちの努力を見習い、これからも「品質第一」の下、安全でおいしい味噌づくりに努力していきたいと思います。
 本年もタケヤみそを、どうぞよろしくお願いいたします。

 今年もおみそがおいしい年でありますように・・・

(2006年1月)


トピックスのページに戻る
タケヤみそホームページへ戻る