みそと御柱祭(1) −御柱のルーツを探る−

 新年あけましておめでとうございます。
 新しい年をどのように迎えられましたか? ご家族だんらんの時間を過ごしている方も多くいらっしゃると思います。タケヤみそは、今年も家族の笑顔に囲まれた食卓を応援します。

 さて、左にあるのが今年のタケヤみその年賀状です。タケヤみそのキャラクター“おわんくん”が、何やらひらひらしたものをつけた棒を握っています。“おわんくん”の上には鉢巻き、そしてなぜか音符がたくさんありますね。

 信州諏訪の人ならば、一目見ただけで何のことかわかるのですが、右上にある「おんばしら!」の文字がヒント。そう、今年は申(さる)年。七年目に一度開催される諏訪大社の「御柱祭」の年なのです。
 「御柱祭」は大木を山から曳き出し、途中「木落し」や「川越し」などのイベントを経て、最後に諏訪大社の本殿の四方に(注)建てるお祭りです。「木落し」や「建て御柱」など、かなり危険を伴う部分もあるため「日本三大奇祭」に数えられたりもしますが、街中を曳行する間は騎馬行列や長持ちなどの出し物も出て、非常に華やかなお祭りです。

 御柱を曳くときには、「おんべ(御幣)」を持って「木やり唄」を唄い(地元の人は「鳴く」と言う)それを合図に力を合わせます。そこで“おわんくん”も木やり唄を鳴いているところを、今年の年賀状のデザインとしました。

 御柱祭の起源については、はっきりとはわかりません。縄文時代から民間で行われていた「柱立て祭」が諏訪大社の式年造営行事(決まった年ごとに神殿を建て直すこと)と結びついたものと思われます。現在も正式な名前は「諏訪大社式年造営御柱大祭」と言います。
 一説には、坂上田村麻呂が蝦夷を平定したことを神に感謝して神殿を作り直したのが始めとされ、また戦国時代に諏訪を征服した武田信玄が盛んにしたとも言われています。ただ、もともとは民衆の祭りであり、現在も地元の人々が協力し合ってこのお祭りを盛り上げています。

 みそ造りもそれに近いところがあるかもしれません。みその生産が大きく発達したのは、戦国武将が兵糧としてみそ造りを奨励したからだと言われています。武田信玄の信州みそがそうですし、伊達政宗の仙台みそも有名です。
 しかし、その後は民衆の間で、各家庭でみそ造りが続けられてきました。一般の人々が毎年続けてきたことが、現在にまでつながっているのです。

 今年、タケヤみそは創業132年を迎えます。「人々が毎日必要とするもの」を大切に作る姿勢を忘れず、安全でおいしいみそづくりに努力していきたいと思います。
 本年もタケヤみそをどうぞよろしくお願いいたします。

 今年もおみそがおいしい年でありますように・・・

 

(注) それでは、諏訪大社の御柱は4本だけなのか、というとさにあらず。諏訪大社には「上社本宮」(諏訪市)、「上社前宮」(茅野市)、「下社秋宮」「下社春宮」(ともに下諏訪町)と4つの本殿があるので、実に16本の御柱が曳行されます。さらに秋には諏訪一帯の神社でそれぞれの「御柱」が曳かれるので、総合計は何本になるのか、誰にも見当がつかないのです・・・。ちなみに「川越し」があるのは上社のみです。

 御柱祭について、もっと詳しく知りたい方は御柱祭ホームページへどうぞ。

(参考文献)
 宮坂光昭『諏訪大社の御柱と年中行事』郷土出版社、1992年。
 信州・市民新聞グループ編『おんばしら 諏訪大社御柱祭のすべて』2003年。

(2004年1月)


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