諏訪古来のみそづくり


ふつうの家庭で味噌を買うというようなことは、恥のように思ってね。なるべく買わないようにし、自分で醸造して食べたんです。だが、たまたまわき(=ほかの土地)から移ってきた人は、買わざるをえなかったわけですね。それでたまたま買いにくる人は、夜、雨戸をちょっと開けて、顔をかくして手だけ出して「お味噌を下さいね」というんです。顔を見られるのは恥ずかしいというんだね。
(『タケヤ味噌百年史』より)
 タケヤが商売を始めた明治初期には、こうした光景が見られたという。
 「手前みそ」という言葉の語源は、各家庭が自分でみそをつくり、わが家のみそが一番だと自慢したことにあるといわれている。各家庭でみそを作っていた時代、もちろん大がかりな機械はなかったし、微生物技術なども知られていなかった。
 その頃のみそづくりは、どんな様子だったのだろうか。

 春、桃の花が咲く頃、各家庭では一斉にみそづくりが始まった。みそづくりはまず、大豆を煮ることから始まる。

大豆を釜で煮るんです。煮あげた大豆を半切(はんぎり=大きな木桶のようなもの)の中へうつして、熱いのでみんな雪沓(ゆきぐつ)をはいて踏んだものです。それを玉にした。ふつうの家庭では小さな玉にしてワラで結んで軒端につるしておいたんです。
(『タケヤ味噌百年史』より)

みそ玉1 みそ玉2

 

 大豆をつぶして玉にしたものを味噌玉という。野外につるしておくと、味噌玉の外側にカビがつき、この天然のカビが麹菌の役割をする。一方、玉にするときに中に空中の乳酸菌が入り、味噌玉の内部で乳酸などが生産される。長い伝統の中で、こうした微生物を生かす方法を考えていたのである。
 この時、有害な微生物が多いと良いみそができない。信州のきれいな空気が有効な微生物を育て、みそ醸造の発展につながったのである。
 味噌玉をつるしておく期間は2〜3週間と言われるが、諏訪では1週間、さらに短いこともあったという。酒屋も多く、麹が手に入ったことから、天然のカビを生やすよりも乳酸などの生成が主目的だったのだろう。

 記録によれば、タケヤが麹づくりを始めたのは昭和初期で、それまでは買っていたということである。麹づくりも大変な作業である。米を蒸し、冷ましてから麹菌をつける。麹ができあがるまでに2晩かかるが、麹菌は成長するときに熱を出す。そのままでは自分の出した熱で麹菌が死んでしまうので、数時間おきに麹を混ぜて冷ます必要がある。これを夜起き出してやらなければならない。この夜間作業は機械による冷却が導入されるまで続くことになる。
 麹ができあがると塩を混ぜる。この作業を塩切りといい、麹の発熱を防いで雑菌の繁殖を抑えることができる。また、大豆、麹、塩という組成の異なるものを混ぜるため、最初に麹と塩を混ぜておくと混合が均一になるという利点もある。塩の量は現在より多く、全体の15%ほどあったようだ(現在は12%程度)。塩の保存の意味もあったかのしれない。

 こうしてできあがった麹を、つぶした味噌玉と混ぜて桶に仕込む。その桶を蔵に入れ、春から夏、秋まで熟成させることになる。この間に酵母がみその中に入り、発酵を進めていく。
 「蔵ぐせ」という言葉がある。各家庭の蔵には、それぞれの特性を持った酵母が住んでいて、みその味もその酵母によって決まってくる。同じように仕込んでも、蔵によってみその香りや味は異なるのである。

 夏になると天地がえしを行う。今は機械でできるが、以前は暑い中、桶から桶へ人手でみそを移す大変な作業であった。こうすることによって発酵の状態が均一になり、よりみその風味が高まることになる。

 そして秋、人の力と自然の力が組み合わされたおいしいみそができあがる。家族総出で作業をし、自分の家の蔵の酵母が作ってくれたみそ、それが一番おいしいと思うのは当然のことだろう。こうした歴史的な経験を大切にしながら、近代的な技術を組み合わせて、現在のタケヤみそ生産は行われているのである。


タケヤみそホームページへ戻る