みその名工
みその名工
 「現代の名工」という言葉をご存じだろうか。
 厚生労働大臣が、卓越した技能者を表彰する制度である。
 信州みその技術者で「現代の名工」に輝いたのは、現在4人しかいない。

 「名工」への道は遠く長い。規定では、長野県みそ品評会で、農林水産大臣賞1回、これと食糧庁長官賞をあわせて5回以上受賞しなければならないとされている【注】。
 年1回、秋に開かれる長野県の品評会には、約300点のみそが出品される。信州みその本場だけに、どれも各会社が知恵を絞り、原料を厳選し、時間と手間をかけたすばらしいみそだ。その中で、農林水産大臣賞に輝くのはたったの1品しかない。食糧庁長官賞もわずかに5品である。

 こうした条件をクリアした上に、「名工」となるためには、その技能が産業の発展や働く人々の福祉の増進にも役立っていることが必要とされている。確かに、こうした賞を何回も受賞するには、経験に裏打ちされた高い技術と能力、さらにその技術を作業する仲間に伝えていくという高いレベルのチームワークまでもが必要であろう。

 諏訪にも、そしてタケヤにも、みそに生涯をかけた人たちがたくさんいた。現在の諏訪みその発展は、こうした人たちの努力の結果だとも言えよう。そして、その伝統は現在までも受け継がれている。
 「現代の名工」は、諏訪にも2人いる。そのうちの1人が、タケヤの技術部長である。
 技術部長に、諏訪のみそについて語ってもらった。

 諏訪のみそが発展したのは、一つに地の利があったから、もう一つには先人の努力があったからだろう。

 地の利としては、きれいな水の豊かさ、昔からの杜氏の存在、街道筋にあったことがあげられる。霧ヶ峰や八ヶ岳からの水はみそづくりに最適だったし、杜氏からは醸造の基本を学ぶことができた。街道筋にあったことは、塩の保存とも関係がある。内陸の地で貴重な塩を保存するためには、みその形にして保存するのが最も有効だったのではないだろうか。
 明治以後は、諏訪という町が生糸を通じて世界とつながっていたというところが重要だと思う。広い視野から物事を考えることは、技術の発展にとって大切なことだ。

 先人たちは本当に努力をした。諏訪人の特徴である個性の強さと勤勉さが強く表れていたと思う。最初に理想のみそのイメージを描き、その理想にたどりつくために常人では思いも及ばない大変な努力と工夫をしていたという感じだ。悪く言えば一匹狼ともいえるほど。自分の作ったみそに誇りを持っていた。
 諏訪のみその伝統は、単に長い歴史と高い技術レベルがあるということだけではなく、凄い先人たちの、自分だけが持っていた独自のものの集積にあるのではないだろうか。
 みそは正直で、造った人の気持ちが表れるもの。興味を持ってみそづくりに没頭したからこそ、すばらしいみそができたのだと思う。
【注】
1.この規定は「現代の名工」表彰の前提となる、長野県知事卓越技術者表彰の規定に基づくものです。
2.2003年から、長野県みそ品評会における総合1位は、「農林水産大臣賞」から「長野県知事賞最優秀賞」に名称変更、部門1位は「食糧庁長官賞」から「長野県知事賞優秀賞」に名称変更されています。
現代の名工 嶋崎光秋

昭和28年、(株)竹屋に入社。東京農業大学にて醸造学を学び、最新の技術と伝統的技法を組み合わせて袋詰め味噌や減塩味噌を開発。現在、(株)竹屋・技術部長。平成15年度、現代の名工受賞。
メッセージ 味噌は生き物。人間の都合ではなく、
味噌の様子をみながら育てるものです。

私の日課は、始業前に蔵の味噌を見て回ること。仕込み桶の一本一本を覗き、色や香り、味を確認します。そして、その育ち具合を見ながら次の作業を考えます。なぜなら、味噌は生き物だからです。
機械を使って同じように作っても、同じ味にならないのが味噌。常に安定したおいしさを作り出すには、技術に加えて経験と感性が必要です。それを磨くためにも、毎日味噌と「会話」することが大切と考えております。
菌塚について 味噌の醸造に当たっては、麹菌、酵母菌、乳酸菌など、多数の微生物を利用します。
その数は味噌1gの中に100,000〜100,000,000個というレベルであり、その微生物の活動なくして味噌作りはできません。
そして、それらの微生物は味噌の中で仕事を終えると次々と死滅していきます。
麹菌は食塩と混合された時点で生きることはできなくなり、酵母菌・乳酸菌も、発酵旺盛期を過ぎれば徐々に菌数は減少していきます。
すなわち、こうした微生物の犠牲の上にできているのが、味噌をはじめとする醸造業なのです。我々はこの微生物に感謝しなければなりません。
そういう考えのもとに作られたのが、微生物のお墓である「菌塚」です。
味噌作りに努力してくれた微生物たちに感謝を表すためのモニュメントと言えるでしょう。